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旧東海道・箱根「甘酒茶屋」で歴史に触れる 「神崎与五郎 東下りの詫び証文」の舞台訪ねる

甘酒茶屋では備長炭で餅を焼く

甘酒茶屋では備長炭で餅を焼く

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 講談や歌舞伎、浄瑠璃などで演じられている「神崎与五郎 東下りの詫び証文」に登場する旧東海道沿いの「甘酒茶屋」(箱根町畑宿二子山)を訪れ、歴史とふれあい静かな箱根を楽しむ人々がいる。

昔から旅人の疲れを癒やした甘酒

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 「今の箱根は静か。雨が降れば雨の音、風が吹けば風の音、囲炉裏(いろり)に火を付ければ薪(まき)の燃える音が響く」と話すのは甘酒茶屋十三代目店主の山本聡さん。この時期、店を訪ねる人も多くなく訪れた客の会話が餅を焼く山本さんの耳にまで届く。

 「(神崎与五郎 東下りの詫び証文の舞台は)三島説、箱根説、浜松説などいろいろあるが、ここ箱根は風情が良い。神崎与五郎がそこにいてじ~っと我慢を重ねているような気がする」「(一部の)歌舞伎で登場している箱根が一番好み」。一人旅の見知らぬ2人が店の奥と手前の囲炉裏脇とで話をしている。

 その話は、播州赤穂城主の浅野内匠頭長矩が吉良上野介を斬りつけた事件。幕府の裁きは「切腹」と「お家断絶」。城代家老の大石蔵之助は、主君の仇討ちを仲間とともに行うべく東(江戸)へと下っていた。時は元禄14~15(1701~1702)年。

 一行に遅れて翌年に神崎与五郎も京を出立して江戸へ向かっていた。途中、茶屋で休んでいると馬を連れた丑五郎に言いがかりをつけられ屈辱の言葉をあびる。討ち入りのための江戸行き。与五郎は恥辱を受けたが、我慢に我慢を重ねて丑五郎に許しを請うが、丑五郎は「詫(わ)びるなら手をついて謝り、謝り証文も書け」と要求。吉良上野介を討ち取るために証文を書く与五郎。ここが物語のクライマックスでその舞台が甘酒茶屋の設定で進んでいく。このときの甘酒茶屋の店主は三代目と伝えられている。

 来店していた2人は、甘酒と力餅を歴史談義をしながら食べ終わると、一人は「湖畔の宿が待っている」と芦ノ湖方面へ。もう一人は箱根湯本経由で小田原へと足を急がせていった。店主の山本さんは「今は、当店400年の歴史の中でも大変なとき。早く穏やかな日々が来るように、そして春の日差しが来るように願っている」と2人の旅人を見送った。

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