8月16日の夜、1921(大正10)年から続く「箱根強羅夏まつり 大文字焼」で明星ケ岳に「大」の文字が燃え上がり、恒例の花火も打ち上げられ多くの人が夏の夜空を見上げた。
標高924メートルの明星ケ岳の山腹にともされる「大」の文字。強羅で夏を過ごす避暑客の慰安と「盂蘭(うら)盆」の送り火として行われてきた。明治の後半から大正にかけて、箱根には多くの貴族・宮家が来訪。宮城野村の青年たちが「たいまつ」を焼いて奉迎。時には向山(明星ケ岳)の尾根で「たいまつ」を燃やして歓迎したこともあり、宮様ばかりか旅館の滞在客にも喜ばれたという逸話が残されている。
使用されるたいまつは箱根一帯に自生する「箱根篠竹」。長さ3メートル・直径30センチのたいまつを250本~300本用意し、「大」の文字の輪郭に沿って配置する。点火の合図は打ち上げられる一発の花火。火を付けるのは宮城野青年会のメンバーと箱根強羅観光協会と地元企業の若手スタッフ。「たいまつに着火すると強羅の人々が撮影するフラッシュがあちこちでたかれた。多くの人が見上げてくれていると感動。こちらが勇気をもらった」と火付け役の一人は話す。
箱根写真美術館(箱根町強羅)の遠藤詠子副館長は、美術館屋上から「大文字焼」を観賞した。「有縁無縁の霊を慰める盂蘭盆の送り火の役割も持つ『箱根強羅の大文字焼』。大雄山最乗時の大僧正による法要が執り行われ、途中雨が降ったりする場面もあったが、きれいな大文字焼と鮮やかな花火を見ることができた。今年は強羅の駅前に縁日のみ感染防止対策を徹底して開催。多くの観光客や避暑客の方々が夏の風情を楽しんでいた」と話す。
他にも、「今年は文字がくっきり見えた」(強羅在住)、「いつもより長く燃え続けて楽しめた」(宮城野在住)、「さまざまな願いを持って多くの人が見上げていた」(小田原在住)などの声も聞かれた。
箱根強羅観光協会の田村洋一さんには忘れられない大文字焼になった。6月頃からたいまつ作りに必要な「箱根篠竹」を刈り取り、乾燥や束にする作業を行う。併せて、「大」の文字になる山腹の雑草除去と整地する作業などが必要になる。
田村さんと幼なじみの友人も参加していたが作業中に倒れ亡くなった。「子どもの時から一緒に遊んだりしてきた幼なじみ。ショックで作業が手に付かなかった」と田村さん。「でも、彼のために一番きれいな大文字焼にしてやろうと思うようになり、当日も山に登り火付けを担当した。供養の大文字焼は本当に良く燃えてくれた。火が落ちるまで40分以上あった」と話す。
大文字焼も花火も終わってしばらくして音だけの花火(号砲・段雷・万雷)が7発打ち上げられた。田村さんは「彼のための供養の音花火。全員で黙とうした。彼も見ていてくれていたと思う」と話す。