男子テニス「ATPワールドツアー・ファイナル」への出場など錦織圭選手の活躍が続いているが、小田原にある「錦織神社」も注目され訪れる人も多くにぎわいを見せている。
多くのテレビ局や新聞社などマスコミの取材を受け、知られるようになった同神社。その昔、相模国の西の地域(足柄上、足柄下)を「西郡(にしごおり)」と称していたことから「西郡明神」と呼ばれていた。その後、領主が「錦織」の字に改めたという。当時の場所は、小田原市栄町2丁目の地域。江戸時代には、甲州道筋の横町名として「錦織町」と呼ばれていた。同神社は、大正3年に現在の大稲荷神社(だいいなりじんじゃ)の敷地内に移された。
同神社によれば、災害の復旧のために厳しい年貢取り立てが行われたことに対し、民衆の苦しさを直訴し年貢の軽減を藩主に求めた下田隼人(はやと)を、助けられた人々が祀(まつ)り、その事実を後世に伝え続けてきたという。
錦織選手がクローズアップされた9月前後から同神社を訪ねる人が増え、昨日(11月15日)は、大変な人出になったという。困難に果敢に挑戦する錦織圭選手を応援すると共に、自らを叱咤激励する人も多いという。
同神社で宮司を補佐する神職「禰宜(ねぎ)」の穐山(あきやま)さんは、「小田原や足柄に住む民衆のために、自らを犠牲にして人々を救った下田隼人の生き方を知ってもらえればうれしい。小田原にお越しの際にお越しいただければ」と話す。11月17日には、「錦織神社祭・例祭」がとりおこなわれる。
同神社の御朱印は300円。御朱印帳は持参のこと。