小田原で工務店の業務を請け負っている小嶺祐三さんが、「小田原の大工の技と心意気を知ってもらいたい」との思いから豆相(ずそう)人車鉄道の車両作りに挑戦し、完成させた車両を隣接地(小田原市浜町1)で走らせている。
1895(明治28)年に熱海から吉浜(よしはま=現在の湯河原街の一部)までが開通し、翌1896(明治29)年に熱海~小田原間が開通した「豆相人車鉄道」。熱海温泉を訪ねる観光客を運ぶために熱海の旅館が中心となり開通させた。駕籠(かご)で6時間かかっていたが、人車鉄道の開通で4時間に短縮された。
小嶺さんが鉄道の車両にこだわったのは、「動くものの方が、子どもたちが興味を示すから」。完成させて走らせると子どもや家族連れが見学に来るようになり、休みの日にはにぎわうこともある。大工の手作りに驚き、完成度の高さに感心する人も多い。併せて、豆相鉄道のことやその後に開通した熱海鉄道に興味を持ち始める人もいるという。
小嶺さんは「大工は、鉋(かんな)、鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、金槌(かなづち)で何もかも作っていた。その手法が大きく変化してしまった。こうした『技』を残していきたい。そのために車両を作り動かしている」と話す。
製作に当たって、「数多くの仕事仲間、車輪を作ってくれた精機会社、線路の土地を貸してくれた地元企業などの協力があった。今後も小田原に培われた技術を多くの人に知らせていきたい」と話す。